
自由に生きるとは「何をするか」だけではない
「自由に生きたい」
そう願う人は多いと思います。
けれど“自由”という言葉を考えるとき、
私たちはつい
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好きな仕事をすること
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会社に縛られないこと
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たくさん稼ぐこと
そんな分かりやすい形を思い浮かべがちです。
もちろん、それも自由の一部です。
ですが、本当の自由とは
もっと本質的なものではないでしょうか。
私はこう思います。
自由に生きるとは、
「責任をなくすこと」ではなく、
「責任を選べる人生をつくること」。
そこにこそ、本当の自由があるのだと。
自由には責任がある、は少し違う
よく「自由には責任がある」と言われます。
たしかに、それは間違いではありません。
けれど私は、この言葉には少し違和感があります。
なぜなら、まるで…
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自由 = 重いもの
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不自由 = 楽なもの
のように聞こえてしまうからです。
実際には、むしろ逆のことも多い。
自由度が低い人ほど、
他人に対する責任を多く背負いやすいのです。
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会社の期待。
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家族の事情。
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世間から求められる役割。
生活のために果たさなければならない義務。
それらは簡単には手放せないとても重い責任です。
「自由とは責任を意味する。
だからこそ、大半の人間は自由を恐れる」
— ジョージ・バーナード・ショー
この言葉は有名ですが、私はこうも思います。
人は、自由の責任よりも
“不自由の責任”に縛られているのではないか、
と。
不自由な人の責任は「他人に対する責任」
一方で、自由な人が持つ責任は、主に「自分に対する責任」です。
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どこで生きるのか。
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誰と時間を過ごすのか。
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何を大切にして、
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何を手放すのか。
どんな人生なら、最後に「これでよかった」と思えるのか。
それを決める責任。
それは他人から課されるものではありません。
自分が自分の人生に対して持つ責任です。
だからこそ、ある意味では
自由な人ほど責任は軽い
とも言えます。
もちろん責任がゼロになるわけではありません。
けれどそれは、“背負わされる責任”
ではなく、”自分で引き受ける責任”です。
ここには決定的な違いがあります。
「自由とは、自分自身に由ることである」
— 相田みつを
自由とはわがままではありません。
人生の重心を他人から自分へ移すことです。
会社に尽くす責任は、生きるための制約でもある
多くの人にとって会社に尽くすことは、
理想というより生きるために必要な現実です。
生活のために働く。
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家賃を払い、
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食べていき、
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社会の中で役割を果たす。
そこにはある種の自由の制約があります。
働かなくてもいい人はそう多くありません。
だからこそ、会社への責任は「自由の結果」ではなく
生きていくために避けがたい責任
であることが多いのです。
もちろんそこに誇りややりがいはあります。
けれど、それをすべて「自分で選んだ責任」と言い切るのは
少し違う気がします。
家族を守ることは、本来“責任”ではなく“選択”
一方で、「家族を守る責任」という言葉があります。
これはとても尊いものです。
けれど私は、そもそも家族を持つこと自体は
責任ではなく、自由の結果として享受するもの
だと思っています。
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愛したい人がいて、
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共に生きたいと思い、
その「結果」として家庭を築く。
それは背負わされた責任ではなく自分で選び取った人生です。
だからこそ、その先にある「家族を守る責任」には納得がある。
自由の延長にある責任だからです。
「愛するということは、
相手の人生に責任を持つことだ」
— エーリッヒ・フロム(思想的要約)
本来、責任とはこういうものであるべきなのかもしれません。
けれど現実には“選べなかった責任”もある
ただ、現実はそんなに綺麗ではありません。
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世間の圧力。
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年齢への焦り。
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孤独への不安。
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経済的事情。
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親や周囲からの期待。
あるいは精神的な未熟さのまま
責任だけが先に訪れることもある。
その結果として「自由に選んだ家族」ではなく
自由のないまま背負うことになった責任
としての家族も存在します。
この苦しさはとても大きいものです。
本来、自由の中で引き受けるはずだった責任を
自由のない状態で持つこと。
それは時に、責任というより
拘束に近い感覚になることすらあります。
だからこそ「家族を守るのは当然だ」という言葉だけでは
語れない現実があります。
自由とは、人生を軽やかにすること
自由とは、責任をなくすことではありません。
責任の種類を選ぶことです。
他人に課された重い責任から離れ、
自分が納得できる責任へ重心を移していくこと。
それが自由です。
その意味で、自由はたしかに軽やかです。
絶対的に楽とは言えなくても相対的にはずっと楽になり得る。
なぜなら、“自分の人生を自分の意思で選べる”からです。
苦労がなくなるわけではない。
けれど、納得のある苦労になる。
そこに自由の価値があります。
「人生とは、自分を見つけることではない。
人生とは、自分を創ることである」
— ジョージ・バーナード・ショー
最後に
自由に生きるとは、好き勝手に生きることではありません。
それは、どの責任を、自分の人生として引き受けるのかを選ぶことです。
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会社に尽くすこと。
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家族を守ること。
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自分を守ること。
どれも大切です。
けれど、その責任が本当に自分の人生なのか。
それを問い続けること。
そこに自由の本質があるのだと思います。
人生は一度きりです。
だからこそ“責任に追われる人生”ではなく
“責任を選べる人生”をつくりたい。
私はそれこそが、本当の意味で自由に生きる
ということだと思っています。



